拙論

下川田・入沢遺跡の石器の整理報告
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 ※ 以下の文章は、2000年12月に群馬県の関谷晃氏に石器実測図の依頼を受けた際に、石器の所見を示したレポートである。その後下川田・入沢遺跡の報告書が刊行され、また2004年に下川田・入沢遺跡が捏造遺跡と判定されたので、ここに公表する。なお、文章中に誤謬があるかもしれないが、当時のままの文章をいかして掲載している。

下川田・入沢遺跡の石器の整理報告

 整理の方針と方法
下川田・入沢遺跡は、2000年11月5日に毎日新聞によって報道スクープされた前期旧石器ねつ造事件の藤村新一氏によって発見・発掘された最後の遺跡である。ねつ造発覚以来、様々な検証方法の提案行われ、実際にいくつかの試験的な検証作業が行われている。
考古学的な検証作業は、大きく2種類となり、再発掘による検証と遺物そのものからの検証である。前者の発掘作業は、現場検証として有効性を期待される。一方後者は、遺物そのものから検証してゆく作業であり、この作業こそが石器研究者としての本分の検証作業であろう。
検証にあたっては、まず石器の詳細な観察データの作成が必要である。印象で判断し、比較される作業は避けなければならない。
そこで観察データは、石器の剥離技術のデータが一次データとして取り扱われるべきである。しかるのちに、「特定の剥離技術でどのような形態を形成するのか」という技法の分析(遺跡内の型式学的分析)が行われなければならない。さらに遺跡内の技法の分析を積み重ね、遺跡間の比較分析(遺跡間の型式学的分析)が行われるべきである。
こうしたデータの積み重ねと分析の繰り返しにより、石器そのものの理解から解釈がうまれ、おのずとねつ造石器か否かにいたることができよう。
以上のような方針と方法にもとづき、以下のような資料を作成した。
作成した観察データ
 依頼された石器10点について、以下のデータを作成した。
石器の実測図10点
実測図は視覚的に剥離技術を把握する図である。線画であるので、剥離技術とそれに関連する属性のみが表示され、石器の概要を把握するのに必要な図である。今回は、やや大形の石器1点を原寸で、小さな石器類9点を150%の拡大で図化した。3/2倍の版下に組むと、大形石器が2/3に、小形石器は実寸になるように作成した。
写真で解説する石器の剥離技術データ
すべての石器について、その石器の剥離技術を理解できるように、低倍率の顕微鏡写真を3枚から4枚撮影し、そこに力学的な剥離の解説と考古学的な解説を付けた。
また2つの鉄石英の石器については、高倍率の顕微鏡観察を行い、その結果を参考資料として掲載した。いずれもCDロムにおさめ、HTLM原稿にした。
石器の解説と綜合所見
本遺跡の資料について綜合所見を記述した。所見の本分は以下の文章にある。


石器の解説と総合所見
1、製作技法のある石器(人工品)は大形石器1点のみである。この大形石器は、背面が自然面の直接打撃による剥片が素材剥片へんである。素材剥片のバルブが発達している。そのバルブを主要剥離面側から取り除く剥離作業(加工作業)が行われ、次にその加工面からハンマーをあてて背面側に加工を行っている。これらの加工は厚みを減らしながら形態をつくる成形加工である。この石器の刃部は明らかではないが、おそらく素材剥片の鋭い末端辺が刃部であろう。削器の機能をもつのだと推定されるものの、ここでは二次加工剥片としてある。また石質の風化がすすんでおり、主要剥離面側にもテリのある風化面が残されている。しかし、鋭い縁辺のあちこちに、風化の程度の弱い黒い剥離面が観察され、加工の剥離面の稜線の高い部分にもそうした黒く新しい風化面が観察される。発掘の出土状態とこれらの新しい風化面の整合性がとわれよう。なお、この石器のように、自然面を残す大形の剥片を素材にする削器類の形態と技術は関東甲信越の縄文時代の中期にもみられるものである。
2、両極打撃で製作された鉄石英の石器2点について。これらの石器は両極剥離でつくられている。そして、その縁辺には、両極剥離ではない様々な剥離面が付いている。そして両極剥離面も多様な剥離面も、その製作技術が縄文時代や後期旧石器時代のものとは異なる様相をもつ。石器3の上面には鋭く硬いハンマーで垂直に何度も加撃された痕跡がみえる。こうした剥離痕は、どこかにこの小さな石器をしっかりと固定し、それから非常に強い力でハンマーを振り下ろすとできる剥離面である。また石器の下辺に押圧剥離ではない弾けたような小さな剥離面が数枚ある。こうした剥離面はハンマーをあてる、というのではなく、何か硬い縁辺にあたって生じる剥離面である。丁度この石器を固定して、真上から強い力で剥離しているときに、固定具からはずれ、下にあった硬いものに落ちたときに弾けたような剥離面である。さらにこの石器の縁辺には打点だけが規則的な位置にある縁辺でとまる剥離面が残っている。これらは石器を固定しておいて、工具をそこに当て、丁度のみを振るうようにハンマーを工具にむけて振り下ろす作業のようである。剥離が伸びないのは、工具を当てる打面形状と剥片を剥がす作業面の形状にその原因があると推定できる。こうした作業は間接打撃と呼称されるが、目的的な剥片の形状をよく理解し、それに適合する打面の形状と作業面の形状を前もってつくっておかないと、剥離作業は失敗に終わる。こうしてみると、石器3の剥離作業は、石器を製作する技術に未熟だけでなく、無目的に石をうち割る剥離行為とも解釈できる。なお、この石器の剥離面の一部には、不可解な付着物が付いており、高倍率の顕微鏡写真を撮影した。実験結果も掲載したので参考にされたい。石器1も上記の分析に同じである。
3、その他の石器7点については、CDロムの内容に準拠する。
4、これまで分析した結果を以下にまとめる。まずしっかりとした技法をもつ石器が1点ある。しかしこの石器の技法は後期旧石器時代にはみられない。とりわけ群馬県内の後期旧石器時代の石器には、こうした石器は出土していない。一方こうした石器は縄文時代の中期にはみられるものである。また、しっかりした技法をもつにもかかわらず、その表面には多様な風化面と事故剥離が観察できる。発掘時の資料では、考えにくい風化面である。次に稚複数の剥離技術を併用した稚拙な石器が2点ある。鉄石英の石器である。これらは、技術的に未熟だけでなく、剥離行為そのものを目的的にしている奇妙な石器である。この石器には不可解な付着物がみられるのも特徴である。残りの資料のなかには偽石器がある。
5、以上を解釈する。これらの石器組成は、これまで筆者が扱ってきた石器文化とは全く異なる様相をもつばかりか、先史時代の一般的な石器群様相とはかけ離れている。その構成は、技法のしっかりした石器と剥離行為そのものが目的の石器、それに偽石器である。そして、いずれの石器をとっても、本来そこにあった石器文化として、正当な解釈を与えることが難しい石器類である。
                                                                              
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