私と考古学、私の考古学

人生・生活・考古学、そして座禅
去年の春から、週一度だけお寺に通って座禅をさせていただいている。座禅のあとは正法眼蔵の講話をうかがう。ここ半年は「現成公案」の講話だが、これがすばらしい。仏法を考古学に読み替えたり、人生に読み替えたり、そして生活に読み替えたりして、一人で喜んでいる。 
 先週から今日にかけて習ったよいこと。
「心身に法いまだ参飽せざるには、法すでにたれりとおぼゆ。法もし心身に充足すれば、ひとかたはたらずとおぼゆ」
 法が徹底的にわかっていないときには、自分は法がわかったと思う。法が徹底的にわかったときには、まだまだわかっていないと思う。と、こんな意味らしい。考古学も同じではないか。人生も同じではいか。生活もそうだろう。この時だけでも清らかな気持ちになれるのがうれしい。
 (写真は善光寺さん)


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